煙草盆 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
02589 | 煙草盆 | 兼中斉好桐櫛形莨盆 誠中作 | ![]() |
05267 | 煙草盆 | 一閑作 行李蓋莨盆 【道具名】 一閑塗行李蓋莨盆
【寸法】
【作者】 10代飛来一閑
【時代】 江戸中期
【説明】
《10代飛来一閑》
宝暦7年(1757)~文化13年(1816)
9代一閑の子
通称才右衛門
32歳家督相続
初代の作品を慕った入念な技法が特徴
剃髪して一閑を名乗る。
以後飛来家のしきたりとなる
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05291 | 煙草盆 | 木瓜莨盆 惺斎箱書 元伯好 一閑作 【道具名】 宗旦好木瓜莨盆 惺斎箱書
【寸法】 横32.5㎝ 縦24.3㎝ 高さ20.3㎝
【作者】 飛来一閑作
【時代】
【説明】 ❑煙草は16世紀末に日本に伝わってきたと言われています。
❑宗旦の時代に茶席にて使われるようになりました
❑宗旦が手に入れた青磁の鉢を火入に見立てこれに合う莨盆を一閑に注文して作らせています。
❑煙草盆の好みとして最初のものとされています
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05333 | 煙草盆 | 木地莨盆 大徳寺伝来 萬仭和尚書付 【道具名】 木地莨盆 大徳寺伝来 萬仭和尚書付
【寸法】 39.0×9.2㎝ 高さ6.4㎝
【作者】 大徳寺在
【時代】 江戸初期
【説明】 大徳寺に伝来する木地の莨盆です。
大徳寺116世萬仭和尚が底の部分に「伝来莨盆 紫野仭花押」
《萬仭宗松》天正5年(1577)没
❑大徳寺116世
❑相模(箱根)早雲寺7世
❑美濃お人
❑師 南岑宗菊、 弟子 錬叔宗鐵
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火入 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
04677 | 火入 | 青楽鉢の子火入 惺入・10代浄益作 《径6.11寸 高さ5.14寸》
【鉢に子火入】 元伯宗旦の所持。本歌は青磁の鉢、火入に見立てたもの。宗旦のころより煙草が席中の持ち込まれたといわれてる。
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05329 | 火入 | 時代 絵唐津火入 【道具名】 古唐津火入
【寸法】 径9.7㎝~10.3㎝
【作者】 唐津焼 時代
【時代】 桃山時代
【説明】
《古唐津》
❑唐津焼の起源については諸説あります
❑今は、室町時代から桃山時代にかけて岸岳(きしだけ)城付近にて雑器を焼いたのを始まりとしています。
❑文禄・慶長の役後、朝鮮より来日した陶工により「松浦古窯」「武雄古窯」「平戸古窯」などが起こります
❑慶長元和年間の最盛期を経て、衰退期に転ずる17世紀半ば頃までの約70年間にわたる唐津焼を「古唐津」と呼んでいます。
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05595 | 火入 | 古染付小香炉 幅8.5㎝ 高11㎝ | |
05619 | 火入 | 染付網絵火入 | |
火箸 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
01488 | 火箸 | 淡々斎好 飾火箸 銀杏 10代淨益作 《長さ 1尺》【10代中川浄益】 明治13年(1880)~昭和15年(1940) 9代浄益長男 紹心 | ![]() |
04846 | 火箸 | 利休形 桑柄火箸 大西浄心作 《長さ9.6寸》 | ![]() |
04935 | 火箸 | 了々斎好炉用火箸11代浄益作即中斎書付 ≪長さ9.34寸(28.3㎝)≫
【解説】 表千家9代家元了々斎が好んだ炉用桑柄火箸です。利休形と言われる桑柄火箸が原型となっています。桑柄の部分に面取りが施され持ちやすいのが特徴です。13代家元即中斎の書付があります。昭和30年代の書付と思われます。
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花入 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
04859 | 花入 | 籠花入 時代 籠花入れは、唐物籠と和物籠に分けられ
素材は竹や藤の蔓などが使われます
唐物籠は精巧な編み方をされた花入れで
室町時代から存在します。
胴に丸みがあり、口が大きく外に開いて、
手(持ち手)が高く作られているのが特徴
中国ではボタンを入れるための
花入れとして使われていました
・材質 竹
・時期 風炉
・径6.66寸 高さ8.15寸 | ![]() |
05594 | 花入 | 古伊万里摸染付管耳花入 | |
懐石道具 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
05082 | 懐石道具 | 天龍寺青磁雁向付 【道具名】 天龍寺青磁雁向付
【寸法】 横17.0㎝ 縦11.5㎝ 高さ4.7㎝
【作者】 中国
【時代】 元~明初期時代
【説明】
《天龍寺青磁》
釉薬がオリ-ブ色のやや黄色味を帯びた青磁の総称です。
明時代の龍泉窯が主な産地です。
天龍寺の名称は、室町時代の天龍寺船によって運ばれた、天龍寺所蔵の香炉からなど諸説あります。
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05500 | 懐石道具 | 志野芦絵四方軸足小鉢 【道具名】 志野軸足小鉢(向付)
【寸法】 14.8㎝×14.8㎝ 高さ4.7㎝
【作者】
【時代】 桃山時代
【説明】 ◆大きさとしては、向付にするとよいと思います
◆よく釉薬が解けて、美しい締まった白になっています
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05608 | 懐石道具 | 萬古焼 舟形向付 | ![]() |
05784 | 懐石道具 | 絵唐津向付 桃山時代
幅5.8㎝ 高14.2㎝ | |
蓋置 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
02971 | 蓋置 | 竹蓋置 炉 碌々斉在判 《径1.68寸 高さ1.79寸》 | ![]() |
05185 | 蓋置 | 古銅写さざえ蓋置 山口浄雄 | ![]() |
05829 | 蓋置 | 淡々斎 竹蓋置 一双 正玄下削 | |
05840 | 蓋置 | 古高取三ツ葉蓋置 | |
05846 | 蓋置 | 姥ヶ餅焼 赤楽蓋置 | |
05847 | 蓋置 | 紫野焼 梅花蓋置 | |
釜 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
00619 | 釜 | 梔子環付筒釜 大西淨久作 【解説】大西浄久作 のんどり釜。「のんどり」とは、方言で「のんびり」の事を指すそうです。撫肩で優しい感じがします。鐶付は、梔子の実です。作者の大西浄久は、京都大西家2代、名工として知られる「浄清」の弟で、やはり名工として名を馳せています。小堀遠州の釜師であり、綺麗な肌が特徴です。 | ![]() |
02063 | 釜 | 博多芦屋平丸釜 風炉 垤志極 【脇芦屋】
中国漢の時代釜は「フ」といわれ、
物を煮るためのものでした。
その中で湯を沸かすものを
「鍑」(フク)と称していました。
日本に伝わり、
江戸時代の始めころまでは、
鑵子(カンス)と呼ばれていました。
釜の日本への伝来は、
中国と新羅からで中国からのものは、
主に西、代表的には筑前芦屋
新羅系統は東、代表的には
天命と言われます。
その後茶の湯の隆盛などに伴い、
芦屋 天命などを中心に
釜が作られますが、
その後諸事情による芦屋の衰退により、
芦屋の工人が全国に流れます。
また、天命も授受に生産を
減少させていきます。
代わりに重要が多い京都などに
その生産拠点が移っていきます。
一方流れた芦屋の工人は全国各所で
制作に携わります。
「越前」「伊勢」「播磨」
「博多」「石見」「肥前」
「伊予」「河内」として分類し、
通称「脇芦屋」と呼んでいます。
【博多芦屋】
芦屋より移住した職人が中心に
制作に関与しています。
黒田長政が博多に封じられたとき
築城また武器鋳造のため
芦屋より呼び寄せたことが大きく
影響しているようです。
材質は、従来の和銑と違い
南蛮鉄が中心です
溶解温度もやや低く、成分上柔らかく
加工が容易なのが特徴です。
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02716 | 釜 | 少庵好 巴霰釜 庄兵衛作 少庵好みは切掛の霰平釜で
鬼面鐶付、古天明釜の底と蓋を
作りなおしたもので、掻立鐶の共蓋に
巴紋を鋳出してあります。
『大西家釜形図』に
「少庵好 霰巴釜 本家鴻池善右衛門
に有。古天猫作を以造り直し、
底井蓋少庵好之、外箱に天明と有之、
内箱宗旦書付利休所持と有り」
とあります。
・初代庄兵衛
江戸時代中期の釜師
芦屋釜を写しが巧みで、肌は中荒肌が多く
焼抜はあまり見当たらないといいます
共箱もありますが、箱書きには
「釜師庄兵衛」とあるのみといいます | ![]() |
03336 | 釜 | 古天明透木釜 大西極 囲炉裏を茶室に取込んだ侘茶創設のころの釜は、日常雑器を転用しているものが多く、「平釜」「手取釜」「丸釜」の3種と言われている。この釜は、典型的な「平釜」であり、日用の釜であったことが想像される。【天明釜】 下野の国佐野にて制作された釜。多くは、素紋、鐶付も遠山などの簡素なものが主流。 侘茶の創成期に好まれ、利休所持と伝えられる釜にもいくつか存在する。 | ![]() |
04496 | 釜 | 真形釜 慶長時代 真形釜の形や鐶付の位置から
筑前芦屋の流れを汲む「脇芦屋」
であると思われます。
長野姪志氏も石見芦屋の
様だと書いています。
また、雅味があるとも書いていて、
侘茶の風情を感じます。
・径8.55寸 高さ5.85寸 口径4.4寸 | ![]() |
04801 | 釜 | 又妙斉好住吉釜 彦兵衛作 鵬雲斎書付 【住吉釜】 又妙斎好 風炉用 大正5年(1916)住吉神社にて昭和天皇の立太子を祝う献茶式が執り行われた。この記念に住吉大社に伝来する芦屋釜を写し又妙斎が好んだもの。吉向作の住吉風炉も好まれ添っている。合わせて、炉用も好まれた。 | ![]() |
05327 | 釜 | 伊勢芦屋松ノ図肩付釜 博多芦屋風炉添
唐銅雷紋帯欄干風炉
慶長年代後期1610~1614 博多芦屋
松の図肩付釜
江戸時代前期 伊勢芦屋
長野烈 極札
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05485 | 釜 | 浄元 四方手取釜 浄長極 道具名】 四方形手取釜
【寸法】
【作者】 大西浄元作 浄長極
【時代】 天明時代
【説明】
《大西浄元》大西家9代
寛延2年(1749)~文化8年(1811)
7代淨玄の門人 奥平佐兵衛
天明5年大西家の養子に入り9代目を継ぐ
代表作 啐啄斎好 達磨釜 鉄道安風炉他
長男は、10代淨雪 次男は奥平了保
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建水 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
02549 | 建水 | 碌々斎好海松桶建水 利斎作 | ![]() |
05554 | 建水 | 南蛮内渋建水 | |
香合 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
05471 | 香合 | 木彫亀香合 利斎古稀作 吸江斎・至慎斎 | |
05514 | 香合 | 保全 菊置上香合 【解説】 紀州徳川家10代藩主治宝は、隠居後和歌山西郊に造営した別邸西浜御殿内偕楽園にて、文政10年に楽旦入、保全、仁阿弥道八らを招き御庭焼(偕楽園焼)を行った折、保全に対し「河濱支流」の金印と「永楽」の銀印を与えました。保全は、その印章披露のため翌年この香合を200個制作し、知人に配りました。蓋裏に「河濱支流」底に「永楽」の印を押しました。
吸江斎が好みとして朱書を蓋裏にしています。
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05530 | 香合 | 蒔絵猩猩香合 時代 | |
05582 | 香合 | 古染付拍子木香合 幅5.7㎝ 高3.5㎝
明末時代
形物香合 前頭 西二段目大位
染付の香合は、日本では現在も多くの作品が残っており
形物香合も和物陶器が7個に対して、染付は85個ありますが
生産地の中国にはほとんど存在していません
本来磁器の香合(合子)は中国古来のもので
日本で様々な用途で使用されます
桃山時代に茶の湯炭手前の香合として使用され始めると
17世紀前半には染付香合の注文作品が多く作られていきます
厚手に成形され、故意に歪みや凹みが加えられ
虫喰(釉薬のほつれが端部を中心にできる)があるのが特徴です
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05621 | 香合 | 鎌倉彫 紅花緑葉牡丹紋香合 | |
05841 | 香合 | 絵唐津香合 | |
05842 | 香合 | 古染付張甲牛香合 | |
軸 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
00177 | 軸 | 無門関 寂室元光 《幅116㎝ 長さ63㎝》
【寂室元光】 正応3年(1290)~貞治6年(1367)。備後美作の人。近江永源寺開山。31歳のとき入元、天目山の中峰明本に参禅し、その「山居思想」をしたい、生涯世間との交渉を断ち、天皇・将軍などの招致も固持。権力をもしりぞけ山中に隠遁の生活を送った.書をよくし、特に偈頌に長じていた。
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00729 | 軸 | 呉春筆 蜘蛛の巣に散紅葉 【松村呉春】 寛保2年(1742)~文化8年(1811) 四条派の始祖。京都金座年寄役松村匡程の長男。与謝蕪村、円山応挙に学び、蕪村の南画と応挙の写実的描写法を織り交ぜ独自の画法を確立しました。俳句、茶、碁、将棋なども嗜む文化人としても知られています。松村景文は弟にあたります。京都四条東洞院に住まいがあり四条派と言われました。 | |
02564 | 軸 | 大龍宗丈筆一行 萬歳々萬々歳 《萬歳萬歳萬々歳》 《奉勅前住大徳賜業沙門大龍叟書》 【大瀧宗丈】 元禄5年(1692)~寛延4年(1751) 大徳寺341世 玉林院住職 号簑庵 *茶の湯を好み、如心斎・一燈・不白などの参禅の師として知られる。号の簑庵は玉林院内に大坂の豪商鴻池了瑛(りょうえい)が造えした表千家7世如心斎宗左の好みによる茶室。 | ![]() |
03868 | 軸 | 即中斎筆一行 霜月照清地 《長さ186㎝ 幅34㎝》 | ![]() |
03934 | 軸 | 仙樵一行 二由一有一亦 《長さ187㎝ 幅30㎝》
《読み:解釈》二は一に由て有、一も亦守る莫れ
| ![]() |
04469 | 軸 | 軸 瑞厳筆一行 紅塵.. 【解説】 瑞頑宗碩(1875~1965)=大徳寺503世(9代管長) | ![]() |
05116 | 軸 | 松華堂画 江月賛 盆石 本願寺伝来 【解説】
■ 松華堂筆 盆石の図 江月宗玩賛 本願寺伝来 本願寺第2回売立品
≪読み≫ 這寒岩底
現片帋間
画師茟力
壁破泰山
≪江月宗玩≫
天正2年(1574)~寛永20年(1643)
大徳寺156世 弧蓬庵・正宗庵・寸松庵開祖
号:欠伸子(ケンシンシ)他
| ![]() |
05168 | 軸 | 堀内不識斎(5代)自画賛 舟に芦の絵野無. 【道具名】 自画賛 舟に芦の絵
【寸法】
【作者】 堀内不識斎(5代)
【時代】
【説明】 堀内家中興の祖といわれる、不識斎宗完の舟に芦絵に自ら賛をしております。元は、不識斎好みの表具が施されておりましたが、傷みが激しいので表具をやり替えております。
《不識斎》安永9年(1780年)~嘉永7年(1854年)
幼名他次郎、名宗完、号不識斎、鶴叟
表千家啐啄斎、了々斎、4代宗心に師事
住山楊甫(2代)らと共に表千家10代吸江斎を補佐
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05238 | 軸 | 深幽筆 玉舟賛 蝶之図 【道具名】 狩野深幽筆菊に蝶 玉舟賛
【寸法】
【作者】 狩野探幽(画) 玉舟宗璠(賛)
【時代】 江戸初期
【説明】
《狩野探幽》慶長7年(1602年) - 延宝2年(1674年)
❑狩野孝信(狩野永徳の次男)の長男
❑元和3年(1617年)江戸幕府の御用絵師
❑江戸城、二条城、京都の寺などの襖絵多数
❑元和9年(1623年)隠居
《玉舟宗璠》慶長5年(1600年)~寛文8年(1668)
❑山城の出身
❑大徳寺185世
❑147世玉室宗珀の法を継ぐ
❑道号玉舟 法諱宗璠 別号春睡他、
❑芳春院2世
❑片桐石州の帰信により高林庵開祖
❑明歴2年大徹明応禅師号を賜る(後西天皇)
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05305 | 軸 | 大心義統筆 利休像画賛 | ![]() |
05339 | 軸 | 即中斎筆 短冊軸 鳳来 | |
05431 | 軸 | 正徹筆 和歌 古筆極 道具名】 正徹筆 名所和歌四半切
【寸法】
【作者】
【時代】
【説明】 正徹(しょうてつ、永徳元年(1381年) - 長禄3年5月9日(1459年6月9日))は、室町時代中期の臨済宗の歌僧。道号(字)は清巌(岩)で、法諱は正徹、庵号は招(松)月庵。清巌正徹。俗名は正清。
石清水八幡宮に仕える祀官一族の出身で、父は小松(または小田)康清といわれ、備中国(現岡山県)小田郡の小田荘を知行していた。
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05433 | 軸 | 北村季吟筆 冬至の詩 古筆極 【道具名】 冬至の詩 短冊表具 古筆了博極
【寸法】
【作者】 北村季吟
【時代】
【説明】
《読み》至日風先属早梅晴香侵雪一枝開
(至日先ず早梅によせ、晴香は、雪を侵して一枝開く)
初陽徒此雖應徒老去壮年無再来
(初陽は、いたずらにこれまさに従うべしと雖えども老去りて壮年再び来たるなし)
《北村季吟》1624年~1705年
*古典学者 俳人
*名久助 号拾穂軒 湖月亭
*安原貞室に師事し、ついで貞室の師松永貞徳(まつながていとく)に学ぶ
*古典の注釈にも力を注ぎ、『大和物語抄』(1653)『土佐日記抄』(1661)『伊勢物語拾穂抄』(1680)などを完成させる。
*若年の一時期、芭蕉(ばしょう)の師
*『季吟十会集』(『続連珠』『誹諧埋木』などの俳諧関係、『源氏物語湖月抄』『枕草子春曙抄』『八代集抄』などの注釈書を記す。
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05436 | 軸 | 小堀宗中筆 槿 和漢朗詠集より 【道具名】 小堀宗中筆 槿 和漢朗詠集より
【寸法】
【作者】
【時代】
【説明】
《読み》
槿(あさがおと読む)
松樹千年終是杇
槿茶位弌朝自為栄
《小堀宗中》天明6年(1786)~慶応3年
*江戸後期の幕臣・茶人。遠州流八世。
*名は政優、通称を大膳、別号に和翁・大建庵。政峰の孫。
*六世政寿の子。茶家小堀家中興と称された。
| |
05583 | 軸 | 玉舟 一行 雲無心出岫 | ![]() |
05616 | 軸 | 清巌 達磨自画餐 了延・了博極札 | ![]() |
05836 | 軸 | 狩野探雪 栗之図 | ![]() |
水指 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
04314 | 水指 | 浅黄交趾末広水指 即全造 即中斎書付 荒磯の文様は名物裂「荒磯緞子」から
転用したものでしょうか?
交趾の色も様々で黄、紫、青などさまざまです。
永楽11代保全が荒磯模様を水指にしたのが
始まりと思われます。
以後永楽歴代が自分なりの形や色にて
製作しています。
末廣形は珍しいです | |
炭取 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
00088 | 炭取 | サザエ炭取 飛来一閑作 【解説】 サザエ籠の銘は、文字とおりサザエを入れる籠から発想されたものと思われます。利休の茶会に招かれた人が手土産としてサザエをかごに入れて持参し、利休は、直ちにその籠を炭取として使用したという伝説があります。宗旦以下、千家歴代の家元が海辺の籠を好みとしています。この籠も、表千家6代覚々斎が好んだものです。千家職方「飛来一閑」の作となります。 | ![]() |
01448 | 炭取 | 時代煤竹炭取 | ![]() |
03740 | 炭取 | 時代ダルマ形炭斗 《径8.88寸 高さ3.83寸》 | ![]() |
茶器 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
05414 | 茶器 | 根来菊形茶器 【道具名】 根来菊形茶器 河合寸翁箱書
【寸法】 径7.6㎝ 高さ7.6㎝
【作者】
【時代】
【説明】
《根来》
❑室町時代を中心に制作されています
❑黒の中漆の上に朱漆を厚く塗った漆器の総称です
❑基は寺院の日用品です
❑名称は、紀州根来寺で生産されたことから来てると思われます
❑茶道具としては、近世の茶人によって見立てにて使われ出したものと思われます
《河合寸翁》明和4年(1767)~天保12年(1841)
❑姫路藩家老 本名道臣(みちおみ)
❑姫路藩の財政を立て直した功労者
❑茶人としてもその名を残しています
❑茶席にもよく使われる菓子「玉椿」は寸翁が作らせ命名したものです
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茶杓 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
03735 | 茶杓 | 即中斎作茶杓 銘松風 | |
茶入 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
05620 | 茶入 | 古瀬戸芋子茶入 銘芦ノ家 休々斎箱書 | |
茶碗 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
02594 | 茶碗 | 赤黒一双茶碗 了入作了々斉書付 鶴亀 | |
05559 | 茶碗 | 即全 紅葉茶碗 銘山路 即中斎書付 | |
05561 | 茶碗 | 妙全 仁清写扇面茶碗 共箱 即全極 永楽妙全 仁清写扇面茶碗 共箱 即全極
幅12㎝ 高8㎝
妙全 1852年~1927年
得全1853年~1909年の室
1909年得全没後お悠さんの愛称で永楽家を支えた
1910年より作品の箱書には、十四代得全の落款と小柴庵三井高保より
賜った「悠」の一字を捺印している
1926年三井高棟より「妙全」の号を拝領
永楽歴代にその名は入っていないが
経済的に恵まれていなかった当時
親しんでいた「茶の湯」や「和歌」を止め
永楽家の家業に専念する
19年間、得全の甥 正全1880~1932と共に
現在の永楽家の基礎を築き
惺斎や他家元の、「御好物」をはじめ
数多くの茶の湯道具の注文をうけ
晩年、名実ともに永楽家を再興させた | |
05584 | 茶碗 | 杉本貞光 紅志野茶碗 杉本貞光 紅志野茶碗
幅11.5㎝ 高8㎝
1935年東京生まれ
1974年大徳寺 #立花大亀老師 より教授を受けます
1981年には長次郎風黒、光悦風赤の研究政策を行い
2006年伊賀焼専用の穴窯を築きます
2014年、臨済宗建仁寺派管長小堀泰厳猊下より、戒名・玄覚貞光をいただき
現在も作陶を続けています
時代を超えて存在する“美”=“不易”と考え、
それを追い求め続け
桃山時代の名陶を範とし、信楽・伊賀・楽・萩・唐津など、
あらゆるやきものを発表しています | |
05624 | 茶碗 | 時代 斗々屋茶碗 | |
05627 | 茶碗 | 松の絵黒茶碗 旦入作 | |
05787 | 茶碗 | 御本茶碗 | |
05834 | 茶碗 | 斗々屋茶碗 銘 有明 幅 15.3㎝ 高 6㎝ | |
05835 | 茶碗 | 弥平太 御本小服茶碗 | |
棗 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
00074 | 棗 | 了々斉好春野棗 利休好秋草棗一双 10代宗 《径2.52寸 高さ2.48寸》2個共【解説】利休所持秋野蒔絵棗と了々斎好春の野棗の組合せです。秋野棗は、利休の所持した蒔絵の棗の中で最も有名なものです。蒔絵の技法は、平蒔絵で最も簡素なものです。春野棗は、了々斎が秋野棗に対して好んだものです。この時も、秋野棗と一双にして作られたようです。了々斎は、この一双の棗を作り置きにて没したそうで、本歌の箱書きは次代の吸江斎となっています。この作品は、本歌とおりに写しており、大きさも同じです。10代宗哲の作となります。 | |
05318 | 棗 | 紹鴎黒大棗元伯.如心.卒啄.碌々書付 【道具名】 紹鴎黒大棗元伯書付 .如心斎.啐啄斎.碌々斎箱書付
【寸法】 径7.0㎝ 高さ7.5㎝
【作者】 町棗
【時代】 桃山
【説明】 ❑武野紹鷗好の黒真塗大棗です
❑宗旦が蓋裏に「紹鴎」と朱書きをして、自身の花押をしています
❑箱裏に如心斎、表に啐啄斎、外箱蓋裏に碌々斎が夫々書付をしています
《武野紹鴎》文亀2年(1502)~弘治元年(1555)
❑堺の生まれ。名新五郎、仲材
❑連歌師を志三條西実隆に和歌を学ぶ
❑茶を村田珠光門下の村田宗珠等に習う
❑茶の湯の弟子に利休等
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05602 | 棗 | 雲錦蒔絵小棗 | |
05617 | 棗 | 豊平翆仙 花寄蒔絵棗 | |
05785 | 棗 | 認得斎好宝舟蒔絵大棗 鵬雲斎書付 | |
茶事道具 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
00142 | 茶事道具 | 青楽 膳燭一対 慶入作 【解説】青釉、楽焼の膳燭です。11代慶入の作で、判から12代に職を譲り隠居した後の作品であることがわかります。膳燭とは、夜咄など夜行う茶会にて懐石時に用いられる照明器具であります。【慶入】 楽家11代。文化14年生まれ。丹波の造り酒屋小川家の子。旦入の養子となり、弘化2年(1845)に11代吉左衛門襲名。 | |
05317 | 茶事道具 | 銀杓子二本入 | ![]() |
05346 | 茶事道具 | 了々斉好写 唐銅小灯 与兵衛作 【道具名】 唐銅小灯
【寸法】 径12.3㎝ 高さ13.7㎝
【作者】 吉羽與兵衛
【時代】
【説明】 ❑夜の茶会に用いられます
❑点前の時、道具拝見のときなどに補助明かりとして用います
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05492 | 茶事道具 | 古備前徳利 【道具名】 古備前徳利 TOKKURI (Sake Bottle) Bizen ware
【寸法】胴10.5㎝ 高16.5㎝
【作者】
【時代】 桃山時代~江戸初期 17th century
【説明】
備前焼は鎌倉時代から桃山時代にかけて現代の形に形成されたと言われております
室町時代あたりから備前特有の赤褐色の焼肌が見られます
徳利作品は様々な窯で作られていますが
特に備前徳利は、その中で最も優れた作品が多く
ほとんどの作品は現代でもよく見られる鶴首形の徳利が主流で
本作のようないびつな形は非常に少ないです
胡麻の様な肌色と時代による肌艶が美しく
備前の特徴がよく出た作品です
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05573 | 茶事道具 | 御深井焼 水柱 御深井焼水柱
幅15.5㎝ 高17㎝
18世紀 江戸後期
御深井焼は尾張徳川家、名古屋城の北側
下御深井御庭窯
鉄分を多く含んだ灰釉ベースの釉薬
青みを帯びた透明淡黄緑色の釉薬が特徴です
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初代・義直が美濃の陶工を呼び寄せ
藩の御用に従事させたと言われています
織部切腹後、美濃の陶工も新しい作陶を強いられていたため
藩としては、「織部焼」に次ぐ焼物として
力を入れていたのでしょう
2代光友の時代になると、
御深井の土「祖母懐」の土を藩で独占
藩の焼物として、寺院、大名、
公家など有力者に献上し確固たる地位を確保します | |
蒔絵 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
05794 | 蒔絵 | 秋草蒔絵小箱 | |
その他 | |||
ID | 部門 | 道具名 | 写真 |
03042 | その他 | 利休形腰黒やかん(小) 浄益 【道具名】 利休形腰黒薬缶(小)
【寸法】 《横5.82寸 縦5.04寸 高さ7.03寸》
【作者】 11代 中川浄益
【時代】 平成
【説明】 従来の伝来する利休形腰黒薬缶を小振りにしたものです。
《腰黒薬缶》
素銅で造られた薬缶です。
利休所持として伝来しています
火にかけることにより底から腰までが焦げており腰黒と銘々されたと思います。
茶の湯では、水次として使われています。
《中川浄益》
千家職方
初代は越後高田の人。
利休の指導にて北野大茶会に用いた薬缶を制作
11代以後の後継者は現在不在
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04967 | その他 | 少庵形炉用灰匙 8代中川浄益作 【解説】 8代中川浄益作少庵形桑柄炉用灰匙。共箱はなく、紙袋に書付しています。
8代中川浄益=天保元年(1830)~明治10年(1877) 7代浄益の養子。三井家の番頭麻田佐左衛門にて、嘉永元年(1848)19歳で養子になりました。明治元年日本の伝統文化・技術の衰退を憂慮し、浄益社を設立し京都博覧会やウィ-ン万国博覧会などに出展しています。
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05246 | その他 | 龍頭釜鐶 13代宮崎寒雉 | ![]() |
05263 | その他 | 真鍮左鐶 大西清右衛門 【道具名】 真鍮左鐶
【寸法】
【作者】 15代大西清右衛門
【時代】
【説明】 左鐶は通常の右鐶と逆の回転となります
通常真の鐶と言われます
| 写真準備中 詳細説明 |